Alfred Stieglitz (1864-1946)
アルフレッド・スティーグリッツはドイツ系移民の子として、ニュージャージー州ホーボケンに生まれた。17歳でベルリンの工科学校ポリテクニックに留学し、写真化学を学び、同時に写真を撮り始める。24歳のときにロンドンの国際写真サロン展で一等賞を獲得し、スティーグリッツはその名を知られるようになった。
1989年に帰国したスティーグリッツは、ヨーロッパにおける写真の息吹をアメリカに伝えるとともに、1902年には若き芸術家たちとフォトセセッション(分離派)を設立した。そのメンバーの中には、のちにアメリカの写真界の重鎮となる若き日のエドワード・スタイケンも参加していた。スティーグリッツは当時の写真スタイルの主流であったピクトリアリズム(絵画主義)を広め機関紙の発行も手がけたが、やがて自然主義写真のエマーソンの影響もあって純粋なストレートフォトに傾倒していった。
スティーグリッツはニューヨーク五番街に“ギャラリー291”を開き、この画廊では写真だけにとどまらず、セザンヌ、ルノワール、ルソー、マチス、ブランクーシ、ピカソ、ブラックといった絵画や彫刻を紹介してアメリカに現代美術の礎をつくっていった。また超現実派の新進画家マルセル・デュシャンやフランシス・ピカビアと共同制作をおこなったり、自らの芸術活動と平行して芸術家たちに発表の場を与えて高い報酬で援助し、かつ現代美術を一般大衆に啓蒙していった。スティーグリッツが支援し影響を与えたアルビン・ラングドン・コーバン、ポール・ストランド、アンセル・アダムスは、のちにアメリカを代表する一流写真家となっている。
スティーグリッツは活気あふれる街頭風景やイクィヴァレント(等価物)と題された雲を捉えた連作などのほかに、妻を撮影した作品を数多く残している。夫人のジョージア・オキーフ(1887-1986)はアメリカを代表する女性画家であり、抽象画の先駆者の一人でもあった。花や動物の骨をテーマとした彼女の具象画や抽象画は、現在でも高い人気がある。オキーフのよき理解者であったスティーグリッツは、オキーフを評価しかつ尊敬を込めて撮影していたことが作品から伺うことができる。
スティーグリッツによってアメリカの現代美術のレベルは飛躍的に引き上げられ、次世代のスタイケンやコーバンそしてエドワード・ウェストンの登場へと続いていく。アメリカにおける近代写真の発展に、スティーグリッツは計り知れない貢献をしたのである。
- 河辺雄二、FLEACT横須賀広報課
Date Taken: | 02.10.2014 |
Date Posted: | 02.18.2024 01:23 |
Story ID: | 464170 |
Location: | YOKOSUKA, KANAGAWA, JP |
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